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親切とお節介の違いは何か?

自分がやっていることは親切なのだろうか?それともお節介なのだろうか?と思うことってありませんか?

そんな時、あなたはどうやって判断しているでしょうか?

自分のことを考えているか?相手のことを考えているか?

おせっかいな人は、「あなたのためを思って」とよく言います。親切な人はその言葉はあまり使わないでしょう。何故だと思います?

「あなたのためを思って」という言葉は相手のことを考えているようで、ほとんどの場合、自分のことを考えているのではないでしょうか?

親切な人は相手が何を必要としているかを理解した上で行動に出ることが多いので、相手に対して「あなたのためを思って」なんてことを伝える必要がそもそもないのです。もうわかっているのですから。

ところが、おせっかいな人は、相手が本当に必要としていることを実はよく理解しておらず、結果的に自分がやりたいようにやってしまっているだけなのだと思います。

でも相手のことを助けてあげたいという気持ちはわかります。僕だってそう思う時って結構あります。でもそんな時は、「あっいけない、いけない。余計なことをするところだった」と自分にストップをかけるのです。

親切な人は無闇に人を助けない

人助けをするのが親切な人とは限らないと僕は思っています。何故なら、あえて助けないことがその人のためになることがあるからです。

人生は失敗もあれば、成功もあるでしょう。嫌なこともあれば、嬉しいこともある。苦難だった誰にでも訪れます。

でも、この人にはそんな苦しい思いをさせたくない・・・と相手を必死に守ろうとする人もいます。そうやって、その苦難をその相手に与えずに済んだとしましょう。でもそれは本当によかったのでしょうか?

私は苦難というものは、人生を豊かにしてくれるものだと思っています。人は失敗するから、そこから学ぼうとするし、苦難に直面することでその壁を乗り越えようとして成長します。

苦難とは、人が成長する上でなくてはならないものではないでしょうか?

それを嫌な思いはさせたくないから・・・と相手にあれこれ余計なおせっかいを焼けば、それはみすみす相手が学ぶ機会を奪っているようなものです。

あ、それは間違いだと、こうしたらいいよ。と相手に言われても、言われた本人は、「自分の好きなようにやらせてくれ!」と言ってくるでしょう。人は自分が学ぶ時にしか学ばないものです。

他人がいくら教えてあげても、自分で学ぼうとする気持ちには勝てません。

だから、「あなたのためを思って」というお気持ちはわかりますが、それは本当は相手のためにはならないことの方が多いのかもしれません。